安田善次郎
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安田財閥の祖、安田善次郎は1838年現在の富山市に生まれた。
武家の家に生まれたが、剣術よりも読み書きやそろばん、商売が好きで
寺子屋では仲間と貯金組合を作るなど、幼くして商売人としての才能を発揮
していたようである。
1958年20歳の時江戸へ出て湯屋、両替商で奉公をした後、26歳の時25両
の資金を元手に日本橋に安田屋という両替商を設立、明治維新後は安田保善社
を主軸に金融業を中心に成長し、後に安田系銀行を大合同して飛躍的に発展
を遂げた。
自分の事業は金融業だけと限定し、他の事業を営むことは控えたが、同郷
の浅野総一郎の経営する浅野財閥に多額の投資し支援するなど、日本の産業
の近代化を強力にバックアップした。
また弾丸鉄道計画の発案や、帝国ホテルの設立発起人、日銀の監事など、
この時代の国家運営にも深く関った。
晩年、東京大学安田講堂・日比谷公会堂などを寄付し、公共事業にも貢献
したが、大正10年82歳のときに大磯の別邸で国粋主義者に刺殺された。
安田善次郎は
「(成功するしないは)一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物如何」
「(才能や経験は枝葉として)その人物が満腔の熱心さと誠実を捧げ、その
事業と共に斃れる覚悟でかかる人であれば十分」
と語っている。
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